生き方・働き方を知る

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先輩たちからのメッセージ

私たちの想い

働くことが生きることではありません。
生きることがまずあって、働くことはその中の一部ですから、自分がどう生きるかを考えることがまず第一です。その中で働くことがとても大事であれば、働くことを考えます。
生きるために働かなければならないのであれば、働きましょう。人とつながるために働かねばならないのであれば、働きましょう。
目的は何であれ、働こうかと思ったら一歩踏み出して行動しましょう。そこからどんなことが始まるか楽しみではないですか?

PERSON 01
前田 高志
前田 高志
(25歳)
株式会社I.S.コンサルティング
WEB制作グループ

大阪大学文学部人文学科卒・社会人3年目の前田高志と申します。小学5年生の頃に発達障がいの診断を受けて、自身の障害を意識(といっても、「まあそんなものか」という程度)しました。このため、大学に入る際に、「何かあっては」と考え障がい学生支援室(現:アクセシビリティ支援室)でキャンパスライフに関する支援を受けることとしました。
支援室には様々な点でお世話になりました。学生生活初期の支援は、テスト上の配慮依頼(整った字を書くのが苦手な為)や生活になじめるかカウンセリング(困ったことがないか)がメインでした。1回生の夏休みからは、障害がある学生のためのインターンもご紹介頂き、学生生活で計7度体験いたしました。このインターンによって社会人生活の下地ができたように思えます。
現在は、支援室との繋がりを切欠にI.S.コンサルティングに入社し、そこでWEBページの修正や更新・コラム執筆の仕事をしております。ここでも様々なことを学びつつ、前向きな姿勢で会社に貢献していこうと思います。

後輩へのメッセージ

社会人として働く為の下地は、学生生活のころに作ることができます。特に、自分の得意・不得意を見つける事や知見を広げることに関しては、インターンのほか、サークル活動や勉学においても、何かできることがあります。
まずは、周囲の協力をもらいつつ少しずつでもよいので、様々な事に全力で挑戦してみてください。その中で自分の進むべき道を見つければ、そこをしっかり進んでいけると思います。

PERSON 02
中澤 信
中澤 信
(株)バリアフリーカンパニー
代表取締役

バリアフリーカンパニーの代表を務めています中澤信です。私のプロフィールについては、会社のサイトをごらんください(http://barrier-free-jp.com/profile/)。
私は、大学を卒業後飛び込みで面接をしてもらい、久保田鉄工(株)(現株式会社クボタ)に入社しました。15年間にわたり企業の経理、法務、総務人事部門での経験を経て退職し、現在の会社を設立しました。バリアフリー、ユニバーサルデザインについてこれまでさまざまな企業のコンサルティングを実施してきました。障害のある人もない人も社会で不自由なく活躍できるためのお手伝いをしています。

後輩へのメッセージ

障害があってもなくても、就職活動とは、要はいかに生きるかということだと思います。自分がこれからどんなふうに生きていくか、どんなふうに働いていくか、そこからが全ての始まりです。それさえあれば、道は何とか切り開かれるものだと私は信じています。また、若い人のそういう思いに少しでも助けになれるようにわれわれの世代の人間も努力して行きたいと思います。期待しています。

PERSON 03
青木 志帆
青木 志帆
(2004年大学卒業)
弁護士・明石市役所

私は6歳の時に、頭蓋咽頭腫(ずがいいんとうしゅ)という、小児がんの一種の脳腫瘍を摘出しました。その後、下垂体機能低下症という、様々なホルモンの分泌が低下する難病の患者です。症状は多岐にわたっており、多飲多尿、視野狭窄のほか、疲れるとすぐに頭痛やめまい、吐き気などで寝込んでしまいます。他方、これといった身体障害はないので、最近まで障害者手帳も発行されませんでした。
このような身体ですので、法科大学院在学中から体力的に勉強についていけないこともありました。勉強すらできないのに、体力勝負の弁護士の仕事ができるものなのか、ずっと不安でした。
不安は的中し、弁護士になって4年目、副腎不全を起こして緊急入院することになりました。「根本的に働き方を変えない限り、弁護士を続けるのは無理だ。」そんなときに出会ったのが、自治体の中で働く組織内弁護士という存在でした。公務員として身分が安定し、同時に行政権限行使の適正を確保する仕事ができるようになり、ワーク・ライフバランスも充実しています。

後輩へのメッセージ

難病者の場合、障害者手帳の発行を受けられにくいため、各種の就労支援も使えないことが多く、不利に思うことがあるかもしれません。しかし、これからは、病気がある人とない人とが一緒に働くことのできる社会を目指す時代です。病気も含めて自分自身を冷静に分析し、できないことは「できない」と開き直り、できることは遠慮なくアピールできる人が求められています。
あなたが働き続けられる職場は、だれにとっても働きやすい職場です。ぜひあなたの病気も強みに変えて、就職活動に臨んでみてください。

PERSON 04
S.N.
S.N.
(2005年3月卒業)
医師

私は法学部卒業後4年間の浪人を経て医学部に入学しました。
法学部でやりたいことを見失い、高校の同級生の影響もあり、医学部再受験を目指すことにしました。しかし、猛反対の親からは仕送りを打ち切られ、友人からは「文系から医学部を目指すのは無謀」と言われ、理解者がいないと絶望感に打ちひしがれていました。苦しい思いしかないのであればこの世から消えたいと思うようになっていましたし、一日中布団から出られない日々もありました。精神科医に相談し、特に診断は下されませんでしたが、医師になった私が過去の私を診断すると「うつ病」ないし「うつ状態」です。
法学部卒業後たまたま医学部で事務の仕事をする機会に恵まれ、仕事をしながら再受験を始めました。勉強時間を確保するため、2年半で仕事を辞め貯金(過去の奨学金)を切り崩しながら受験を続けました。それでも3回目の受験も失敗。一般教養でお世話になった先生と話をする機会があり、金銭的に助けて頂き(医師になってから返済済み)、4回目の受験で合格。
人は誰かに助けられて生きていると実感し、現在も出会いを大切にしながら医師をしています。

後輩へのメッセージ

精神的な問題があれば、相談相手を見付けたり、早期に精神科を受診したりすることをお勧めします。一人で悩むと負のスパイラルに陥ります。一昔前に比べると精神科を受診するハードルはかなり低くなっています。精神的な問題を抱えていないように見えても、精神科のお世話になっている人を実際に何人も見てきました。また、できないことを悩むよりできることを評価しませんか?勿論学歴が全てではありませんが、阪大に合格したということは評価して良いと思うので、一歩踏み出してみましょう。

PERSON 05
仲川 一昭
仲川 一昭
(1965年電通大卒)
障がい福祉サービス事業所施設長
サービス管理責任者

私は、ポリオにかかり脚と体幹に重度の障害があります。ぐれた時代もありましたが、音楽に支えられて立ち直り大学受験まで漕ぎつけました。大学を卒業した1965年は、まだ法定雇用率が義務化されておらず就職には悪戦苦闘。各種の企業にエントリーしましたが、書類選考の時点ではねられていました。
そんなとき、ライオンズクラブ会長のお世話でなんとか設備会社1社の内定を得ることが出来ました。入社した頃はいじめもあり大変でしたが、“社内で 自分にしかない設計技術を取得しよう”と努力したおかげで 徐々に信頼を得るようになり、次々と国家資格にチャレンジしたこともあり設計から現場の総監督まで色々な仕事を任されるようになりました。
しかし、会社の倒産で建築設計事務所に転職しました。そこでは、障害を持った当事者の目線で色んな人が利用しやすい設計を心がけたところ、ユニークな発想を持つ設計者と評価され、仕事の依頼が次々と入るようになったのです。こうした設計の仕事を通して、様々な業界の働き方や特徴を知るようになりました。そこで、これまでの知識や経験を活かして、色々な障害で就労が困難な人たちのお役に立ちたいと福祉業界に転職し、現在は、就労支援を専門に行っています。
今まで、困難な局面で色んな人が助けてくれました。人に恵まれて感謝しています。

後輩へのメッセージ

「こだわれ」。これは上司からたたき込まれた言葉です。私の場合は、こだわるのに相当の努力が必要でしたが、努力なしにそうした特性のある方もおられるでしょう。それぞれの特性を生かせる職場を見つけることをおすすめします。私は、仕事で障害を活かして来られたと思っています。障害は個性と言われたりしますが、私はむしろ障害は特技みたいなものだと思っています。自分を活かせる特技は何だろうと考えたら道が見えてくると思います。

PERSON 06
中澤 信
デフブラモンキー
(36歳)
一般企業勤務

私は、音楽、グルメ、旅、きれいな海と夕日と星空が好きな1983年生まれです。1989年に原因不明の感音性難聴と判明しました。音が歪んで聞こえ、言葉を聞き分けることが難しいので、相手の顔表情と口の動きを読み取っています。就職活動では、60社ほどエントリーしましたが就職がなかなか決まらず、ハローワークの紹介で嘱託社員として入社しました。仕事評価と昇進テストに2年連続チャレンジし、2018年に3度目のチャレンジで正社員に登用されました。口語と手話をメインにしていたため、入社当時は会話に苦労し、人前で話すのが苦手でした。また、不公平な発言を受けたこともあり、厳しい環境にありました。しかし、次の3つのことを実践して人生が大きく変わったと思っています。一つ目は、先輩や同僚の仕事のやり方を見て、覚えてスキルアップする努力をすることです。二つ目は、相性が合う上司や先輩を見つけることです。アドバイスをもらったり考え方を参考にしたりしています。相性の合わない人と無理に人間関係を良好にしようとする必要はありません。三つ目は、2008年から始めた三線です。仕事とは直接関係ありませんが、レッスンでは人前で三線を弾きながら歌い、コンクール最高賞にチャレンジしたことで、言葉の発音とヒアリング力が高まりました。三線を中心に音楽仲間が増え、仕事だけでは出会わないような色々な人との関係ができました。この3つの相乗効果で徐々に自分に自信が付き、仕事のやる気も向上し、良い成果につながっています。
私の成長(人生)=「冒険」と(「行動・実行」×「経験」)
1.いろんなことから学び、自分らしく生きる。個性を活かせるようにする
2.ポジティブな気持ちでいる
3.失敗は成功につながるチャンスだと思い、スキルを磨く
4.やりたいことは積極的に挑戦し、挑戦を続ける

後輩へのメッセージ

私は、いろんな目標をクリアしてきましたが、 今後も公私ともに常に向上心を持ち、いろんなことに挑戦して、自分も周囲の人も満足できるような環境をつくっていきたいです。人生は、楽しいこともあれば、厳しく苦しいときもあります。誰だって、大きな壁にぶつかるときがあります。しかし、その壁は「限界」ではなく、「冒険だ!」とポジティブな気持ちで臨むことが大切だと思っています。今までの経験をもとにわくわくする気持ちを持てるよう自分で行動を選択しつづけることで、きっと道が開けると思います。